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制作 雑記

知らないことは多いが使える時間は限られている

ゲームを作るというのはゲームという分野で考えれば「作る側」の立場を意味する。

しかし、ゲームという分野に限定せずにソフトウェアという分野で考えるとUnityやUnreal Engine、その他のツールをただ使えるだけではなくて作れるようでなければ「作る側」に立っているとは言えない。

そんなことを考え始めてたまにはUnityを離れて何か学習しようと思ったが、理解していない事があまりに多すぎる気がしてめまいがしてきた。

例えばVisual Studioなどを立ち上げて、新しいプロジェクト→Windowsアプリの作成とクリックしていくと、とりあえず真っ白なウィンドウが表示されるだけのコード一式が勝手に作られるのだが、これも結局与えられたツールを使っているだけだ。本当の意味での「作る側」はこのVisual Studioのようなツールそのものを作れる人を指すはず。プロジェクトの作成サンプルは他にも様々なパターンが用意されているが、自分はそれらの使い道を全て理解する事すらできていない。

だからといって作る側という考えを極端に突き詰めると、パソコンやCPUを自分でゼロから作るという話になりかねないが、それは自分のやりたいこととは違う。プログラミング言語自体を自分で新たに作るというのも違う。

作りたいのはコンテンツなのかツールなのかを考えて学ぶ事を線引きしないと時間が足りないように思う。世間の優秀な人が優れたツールや部品を作ってくれているなら、それを上手く使いこなせば良いのではないか。車輪の再発明も学習のためなら無駄ではないが、限られた時間で何を学ぶかという優先順位は意識しておくべきでは。

そんな仰々しい話をする以前に、コンテンツすらまともに完成させたことが無いのが今の自分なわけだが…。昨今、ゲームを作って公開するためのツールや環境は整っているので、やるかやらないかという意思の問題のはず。

各種ツールの使い方を完璧に理解するのも楽ではない。ツールの使い方を覚えることが目的にならないように、必要な機能を見極める事も意識するべきかもしれない。ツールはあくまで手段である。

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ニュースと距離を置く

ニュースを見ていると不愉快な思いをすることが多いと感じる。
世の中には身勝手な人間ばかりで、悲しい出来事ばかりが起きているような気がしてしまう。

でも冷静に考えると、それらのニュースを見たことで自分にとって何かを得られたか、行動の変化があったかと言えばこれと言って無い。
怒りたくなったり、悲しくなったり、世の中に向かって不平不満を募らせただけだった。
気分が悪くなるだけならいっそ見なくても良いのではないだろうか。
あまり能天気なのも良くないが、毎日を悲観的に暮らしても良いことは無い気がする。
問題意識を持ったところで、それが具体的な行動につながらないなら意味は無い。

ニュースを見るときにはそれが自分に意味のある情報なのかを冷静に考えるように心がけたい。
報道の仕方により事実が歪曲されることもあるので、客観的な事実は何なのかを意識する事も大事かもしれない。

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カメラに残すのも良いけど

12:17 2020/09/21

絶景、面白い場面、珍しいものなどを見るとついカメラに収めておきたいと思うもの。
ただ、カメラを取る事に集中してしまうと目の前にあるものを自分の肌で楽しむ事を忘れてしまいがち。
どんなにうまく取れても写真や映像やはやり写真や映像に過ぎないわけで、今その瞬間の体験そのものとは違うのではないか。
今時、話のタネになりそうなものはとりあえずスマホで取ってSNSに挙げるということは多くの人がやっていると思う。
自分の場合は自衛隊の駐屯地の訓練展示などを見に行くとデジカメで写真や映像に残す。
カメラの移りの良しあしに意識が向いてしまい、肌で経験する事が二の次になっていると感じる。
必死にカメラに残す割りに後で振り返ってみることも余り無い。使っているカメラも決して性能の良いものではない。
見る事よりカメラに収める事が目的だと割り切るのもありと思うし、GoProなどを使って手ぶらで録画すれば済む話かもしれない。
それでも、その場でその瞬間を肌で感じる以上の経験は無いと思う。
それとも、視覚と聴覚だけでなく五感の情報全てを記録に残せる技術でもあればそうでもなくなるのか?
VRやARなどの技術がどんどん進歩していって、実際に経験するのと変わらないような経験の複製が可能になったりするのか?
今のところ、触覚、味覚、嗅覚を再現する技術は実用化される様子が無いし、その場で自分がどんな感情を抱いたかということも記録するのは難しいかもしれないが。
また、客観的な事実の記録と主観的な経験の記録は別物のはず。例えば、気温や湿度を客観的な方法で記録して再現できても、それを熱いと感じるか寒いと感じるかは主観の問題。

いずれにせよ、カメラ撮影に夢中でその場を楽しめないのはもったいない事かもしれない。

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人生は日々の積み重ね

同じことの繰り返しのような日々を過ごしていると、人生のほとんどはどうでも良い日常がほとんどで、重大な意味や影響を持つ場面は限られているような気もしてくる。

そのくせにいつか重要な日になんらかのきっかけで自分が別人のように変わり、充実した人生を送れるような期待を持ってしまう。
今しばらくは漫然と退屈な日々を過ごすだけで、いつか来るであろう重要な日に本気を出そうみたいな。

でも結局のところ、人生というのは日々の積み重ねでしかないので、日々をどう過ごすかで人生が決まる。
日々を惰性で過ごせば、人生を惰性で歩むことになり、
自己管理の無い日々を過ごせば、自己管理の無い人生を歩むことになる。

何か小さなことでもいいので習慣を変えることが重要だと思う。
運動にせよ学習にせよ、とっかかりは小さな事や簡単な事で良いと思う。
例えば1日5分の学習と聞くと短すぎて意味が無さそうに感じても、
学習の習慣が身についてしまえば5分という時間を
10分とか15分に増やすのは難しくないのではないか。

ある日突然劇的な変化によって変化が訪れるというのは、映画や漫画の世界の話。
一見地味に思える日常の積み重ねこそが人生の大部分を占める。
塵も積もれば山となる、というやつである。